幸せの不一致が教えてくれたこと。まずは子ども自身の幸せや喜び・楽しみを受け入れたい☆ 幸せはその人の心に在り☆
幸せって何?
「毎日幸せに過ごしたい!」なんていつもいつも考えながら過ごしているわけでは
ありませんが、私も幸せな毎日がいいな、と思っています。
そんな私も人生の折り返しはとっくに過ぎました😮
その人によって 幸せそのものは違います。
☆毎日健康に過ごせること
☆美味しいものを食べられること
☆いい学校に行けること
☆いい職業に就くこと
☆好きな人といれること
☆毎日笑えること
☆お金があること
☆出世すること
☆家族がいること
☆物資に恵まれていること
みんな違います。
そして
お金があって高級レストランで食事をとり 誰が見ても豪華な暮らしをすることが幸せな人もいれば
お金はなくても自給自足を愉しみながら生活し、幸せな人もいます。
大企業に就き、ストレスいっぱいで余裕のない人もいれば
自宅で小さな会社を築き、自分の時間や家族の時間を得ながらゆとりある
生活をしている人もいます。
体は健康そのものでも、毎日不平不満があり悶々と過ごす人もいれば
病気と闘いながらも、家族の愛に包まれ 心穏やかに過ごしている人もいます。
それを考えれば
人の幸せは 外側から見ただけでは分からないのです。
「幸せ」は その人自身の内側にあるものです。
言ってみれば、自分が「幸せ」だと感じればいいのです。
私は、他人から「幸せ」を押し付けられたような感覚になったことがあります。
なんてちっぽけな私だったんでしょう😑
今でも「気持ちよく・有難く受け入れていればよかった」と思うこともあれば
いえいえ「やんわりお断りすればよかった」と思うこともあります。
自分はお返しも出来ないので、少しずつ負担になってきたんです。
断ることも出来ずに しばらくそんな関係が続いたことがありました。
困りました~🤔 ほんとに困りました~😯
その人からしてみれば「相手が喜ぶ」と思っていたのかも知れません。
もしかしたら 仲良くしたかったのかも知れません。
それにしても高価なものに、あまり興味のない私は
いただいたモノに対して幸せや喜びを得られなかったんですよね。感謝はありますよ。
本当に申し訳ない話なんですが、どんなに高価なものよりも
話題豊富なその人との会話の方が、何よりいい時間でしたし
楽しかったし、ただそれだけで楽しかったんです。
どちらかと言えば
その人の幸せは豪華な食事と 高価なものだったんだろうな、とあとから気づきまし。♪ 勿論否定はしませんし、それも素敵な幸せだと思います☆
ただー
豪華な生活と高価なものがなくなれば その人は不幸だと感じるの?
と 思うことはありましたが。
なんだか
「幸せの不一致」が 私たち二人の間にあったんだと今でも思います。
その「幸せの不一致」。今でもどこでも普通に存在します。
そう思えていたら私ももっと楽だったのかもしれませんよね。
例えば、夫と私の間にもせ日々幸せの不一致は起きています😆(笑)
ですが この不一致はお互いの価値観を受け入れることで生活も
成り立っていますし だからといって言い合いや 争いにはなりません。
今のところ😁
家の中でも 静かに一人の時間が好きな寡黙な夫。
どちらかというと「世田谷ベース」的なことをして自分一人で楽しみ満足する人。
「俺のことはほっといても かまわない」の夫。
それに対して私は 家族とワチャワチャしたり 自分時間を過ごすことが好き。
ご近所さんと我が家でも「幸せ」の形や定義はそれぞれ。
たった一つ言えることは
同じ場所を選んでいるご近所さんのほとんどは
「この場所で住むことが、自分たち家族にとって幸せ」🏠🏡🏙と思い場所を選んで生活してると思うんです。
幸せの定義や価値観は、自分の年齢やその時の環境で変わっていくものですが、
人は育った環境も経験値も違うので 幸せそのものも違います。
そして それでいいんだと思っています。
ただただ 生きていることが幸せだと感じる人もいます。
まさに生きていること以外は【無条件の幸せ】
そんな人をみて 「幸福度が高いなぁ」と思います。
羨ましいですよね。
生きていること自体で満足を得られている人たち・・・。
3年前に亡くなった義父がそうでした。
よくよく義父のことを振り返ると、本当に欲がない人でした。
義父が微笑むだけで、いつも周りは穏やかな気持ちになり安心でした。
常に満たされ幸せな人って 本当はこんな人のことを言うのかなと・・・。
「今」に満足し、自分の幸せを押し付けず、人に求めず、
安心な場所を自分の中に確立できている人。
心がいつも穏やかで 平和な人。
私も こんな形の「幸せ」に辿り着くまでには
まだまだ時間はかかりますが、我が家には子どもがいるので
まずは子どもたちにとっての「その時」の安心な環境を作ってあげること
子ども自身の「幸せ」「喜び」を受け入れること。
何はともあれ 私自身の幸せも大事にすること😄
決して自分の幸せを強いることなく
娘自身が「幸せ」だと感じることを大事にしたいと思います。
「先々困ることのないように」・・・なんて親心も愛情に一つかも知れませんが実のところ不必要だったりすることは、上の子どもたちを見ていても
結果、親の自己満足にすぎないのですから・・・。
親が思う子どもの幸せが 必ずしも一致するとは限りません。
今の娘にとっての幸せを 娘に聞いたところで今は現実味のある答えが返ってくると思います。
それは娘自身が自分自身で経験し、築いてきた幸せなので
「何それ~🤣」と言いつつも(ここは正直に言う。笑)、 受け入れようと思います☆
私と夫、そして娘の幸せが一致しなくても、家族としての幸せは広がります☆
自分の幸せは勿論 自分の周りの人たちの幸せをて尊重して生きていくことが
どんなに生きやすく 楽に生きていけることなのかを実感すればするほど、日々が幸せだと気付くことに繋がっていくのではないでしょうか☆
皆さんの幸せってなんですか?
それはどこにいても感じられるものですか?
自分の幸せを受け入れてもらえる人がいますか?
大事にしましょうね! ご自分の中に在る幸せ⭐ そして人の幸せ⭐
今日も 幸せな一日に~😊